世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉
村上 春樹 / 新潮社
ストーリー性・背景:★★★★★
満足度:★★★★★
お勧め度:★★★★★
総合評価:★★★★★+★
---流石、村上春樹は違う。素晴らしい知性の持ち主。---
”やがてその雨はぼんやりとした色の不透明なカーテンとなって私の意識を覆った。
眠りがやってきたのだ。
私はこれで私の失ったものを取り戻すことが出来るのだ、と思った。
それは一度失われたにせよ、決して損なわれてはいないのだ。
私は目を閉じて、その深い眠りに身を任せた。
ボブ・ディランは『激しい雨』を歌い続けた。”
内容(「BOOK」データベースより)上巻
高い壁に囲まれ、外界との接触がまるでない街で、そこに住む一角獣たちの頭骨から夢を読んで暮らす〈僕〉の物語、〔世界の終り〕。老科学者により意識の核に或る思考回路を組み込まれた〈私〉が、その回路に隠された秘密を巡って活躍する〔ハードボイルド・ワンダーランド〕。静寂な幻想世界と波瀾万丈の冒険活劇の二つの物語が同時進行して織りなす、村上春樹の不思議の国。
内容(「BOOK」データベースより)下巻
〈私〉の意識の核に思考回路を組み込んだ老博士と再会した〈私〉は、回路の秘密を聞いて愕然とする。私の知らない内に世界は始まり、知らない内に終わろうとしているのだ。残された時間はわずか。〈私〉の行く先は永遠の生か、それとも死か?そして又、〔世界の終り〕の街から〈僕〉は脱出できるのか?同時進行する二つの物語を結ぶ、意外な結末。村上春樹のメッセージが、君に届くか?
【加藤レンジャーからの一言】
『ノルウェイの森』が『国境の南、太陽の西』に似ているというならば、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は『海辺のカフカ』に似ている。
しかし、カフカ程簡単には、読ませてもらえなかった。
そこには、ありとあらゆる勢いが存在し、ありとあらゆる静寂が存在した。
それは意識と現実。
本当の死とは、肉体を失うことではない。
”私”が静かに目を閉じたとき
”僕”は―――を選んだ。
読み終わって一日も経ったというのに、未だに胸が熱い。
私なら一体 何を選ぶだろう
【加藤レンジャーのレビュー・なんだかいつもと一味違う】
加藤レンジャーは今愛媛のある島に住んでおり、その寮のベッドの上で、この本を読み終えた。ああ、またいつもの現象が始まる。村上春樹の作品を読み終えた後の、あの何を思えば良いのか解らない、静けさがやってくる。”感無量”日本人は本当に上手な言葉を作ったものだと思った。そしてそれと同時に、日本は素晴らしい作家を生み出してくれたものだと思った。いや、むしろ村上春樹は作家の域を超えている。天才なのだ。
私は鈍い眼で、寮の窓から空を見上げた。もう季節は七月になるというのに、黒い雲に覆われている。これではまるで太陽の光のささない、「世界の終わり」の冬の中に居るようではないか。寮のタイルが、まるで「世界の終わり」を取り囲む壁に見える。けれども私の居るところは世界の終わりではない。私が居るのは、「ハードボイルド・ワンダーランド」。動的で激しく、感情に揺れ動かされ、ひたすらに苦痛を感じ、時に性欲や食欲に襲われながらも動かされれる、「ハードボイルド・ワンダーランド」なのだ。
物語は二つの世界から織り成されている。一つは「ハードボイルド・ワンダーランド」いわゆる現実の世界である。そしてもう一つが「世界の終わり」。この二つの関係性について多く語る気は無い。是非読んで感じ取り、そして納得して欲しい。
「ハードボイルド・ワンダーランド」の奇数行の章では、題名が複数である。例)エレベータ・無音・肥満・・・・等。物がありふれた世の中の複雑さを表現しているように見える。また、「世界の終わり」では題名が一つになっている。この対称なる二つの世界観が結びついたとき、あなたは感動を覚える。何も無い世界とありすぎる世界の真ん中に立って、あなたはラストを見守ることとなる。
読もうかどうか迷っている人、アマゾンのレビューを見て欲しい。ほぼ全ての人が「最高傑作」と声を上げて大絶賛している。時代を超えても色褪せない、いや時代という時間の流れを感じさせないこの傑作を、見ないで一体何を見ろというのだろう。村上春樹の作品にとって、時間という概念は皆無に思える。そんなものとはどこか違う次元のものに思える。
ラストは、文句の付けようの無い、村上春樹らしい終わり方をしている。
『そうだね、君が考えてごらんよ。ここまでは教えてあげるからさ』まるで村上春樹にそう言われている様だ。二つの物語をリンクさせるもよし、また違った物語として解釈すもよし。その後、”私”と”僕”が幸せになったかそうでないか、それも君達の想像に任せよう、・・と。
ここは一つ、村上春樹に踊らされてはどうだろう。同じ著者が書いた本でも、ラストを読者に考えさせることで、全く違う作品になるのだということを、私は彼の作品に教わる。それでは私の中での『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は、私らしい幸せなハッピーエンドにさせてもらおう。
終わってみれば、”僕”とは、誰だったのだろう。”私”とは?”図書館の女の人”は?”太った美しい17歳の女の子”は?”博士”は?”大佐”は?-------登場人物誰一人として、名前がわからないのだ。
その様な、存在を定義し表す象徴となる名前すら、この物語には必要が無いのかもしれない。
---最後に**finish
私の中で、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」は、「ノルウェイの森」の評価を越えた。(といっても、順位をつけるのを迷うほど近差ではあるが)この二作は、彼の作品の中で飛び抜けて面白いように思う。
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