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答えのない質問、様々な視点から---【返信記事】
 返信を記事にして取り上げてみました(^^)私も色々考えさせられたので(^U^)
 (この問題を知らない方へ・・・[[[[[こちらの日記]]]]]をご覧下さい。)

 コメントの一部をピックアップ。

>>Commented by----------100_shikiさん
>>Commented by----------樹里さん
<<Re: by----------加藤レンジャー
(100_shikiさんのコメントを、樹里さんを、加藤の返信をとします。)

問題:自分の友達にお金を借りて逃げた子が、もしも自分の所に助けを求めて来たなら??


□100_shikiさんのコメント>>まず自分なら逃げ込んできても金銭的な面では協力しませんね。助けてあげられることと言ったら、アドバイスを与えるくらいでしょうか。人って簡単にお金が手に入ると、欲が出てしまうもんなんですよ。次から次へと。借りたお金は返す、それが第一だと思う。その努力すら出来ないようだったら、その後の手助けも意味ないと思う。キツイ言い方かもしれないけど、友人にお金を借りて逃げたような人の心配をするほうが、人が良すぎるような気がします。(気にさわったらごめんね><)

□樹里さんのコメント>>困っていたとしても僕も巻き込まれてしまう危険もあるわけで(相手が相当危険な極論の場合)。それを解って相手が来たとしたら僕のことを大切に考えてないと思わざる得ないかもしれません。金銭面では当面の生活費程度は渡すかもしれませんが、それ以上のことはしないと思います。

■加藤の返信<<この問題を、私なりによく考えたんです。私は、AIちゃん曰く「甘すぎる」性格上、どうしても『この子にはまだ改善の余地があるのではないか』という事を思ってしまう部分があります。(甘過ぎですね。人が簡単に変らないと言うのは十分解ってはいるのですが)だから、最後の情けで、もしも何事があったときに私に被害が無い程度の距離を持って、しばらくの間接し、その間に徹底的に話を聞きます。【なぜあの事件を起こしたのか】【今は、それについてどう思っているか】【これからどうするつもりか】そしてその話の中で、本当に救う余地があると自分が判断したならば受け入れ、多少の事は面倒をみても良いと思っています。あとアドバイスと。例えばその間に私のサイフを盗んでまた消えたとしたなら、それはもう、その子が悪いと責めるのではなく、『この子に改善の余地がある』と判断した私が悪いので、納得も出来るというものです(笑)改善の余地がないと考えた場合は、冷たいかも知れませんが、全ての援助をスッパリと切らせて頂き、金が返せないのなら警察に行くべきだと言います。何故、騙された人たちががあなたを警察に突き出さずに黙っているのかを考えろと言います。
 けれどこの方法には、人間を的確に見る目が必要になると思うのですが、今の私のそれでは、間違った判断を下しそうであります(苦)


□100_shikiさんのコメント>>結局、お金を貸してしまったほうにも非はあるんですよね。真実はわかりませんが、本当に困っていたのなら、貸す前に違った解決策等を考えてあげたのだろうか?

■加藤の返信<<私は当事者ではないので、その部分はよく解らないのですが、ピノキオ君が、下のような事をその子に聞いたらしいのですが、どんどん口をごもらせていったらしいです。最後には適当な物言いで切られたらしいです。
「事故なのか?それともぶつけたのか?」
「破損状態はどんなもんだ?」
「何にぶつけた?公共物?私有物」
「むこうの被害状況は?」
「私有物なら持ち主と話し合ったのか。まさかバックレたんじゃないだろうな」
「保険に加入してるのか、加入してるなら連絡したのか」
「何も対処していないなら手伝ってやるから、取りあえず現物を見せろ。
先にお金の話を持ってくるというのは、話の順番が間違っていないか」

 お金を貸した人にこういったことに関するの知識がなかった事もあるのだとは思うのです。けれど、無知が言い訳になる訳ではありませんので、貸してしまった人にも非があると思います。ただ、100_shikiさんのおっしゃるとおり、友達ならば、他の改善策を提示する人が居ても良かったと思います。(居たのかも知れませんが、私には解りません・・)
 ・・・ピノキオ君のように、話を掘り下げて一緒に考えようとした人に適当な物言いをした所を見ますと、悲しいことに、この車の話が本当であるという事が疑わしく思えてしまうのです。


□樹里さんのコメント>>逃げたときに僕の所に居座らせるかを考えると、相手が僕のことを本当に大切に思うなら居座らないのではないか?と考えます。この場合の優しさ=自己犠牲は自分の身内、大切な人たちにも危険が及ぶと考えるのが妥当だと思います。自己犠牲が自分にとって相手にとってどういうことなのか?を考えてしまいます。

■加藤の返信<<居座らせるかというのは、大変難しい問題ですよね。私の場合、自分の下した判断(このときは、改善の余地があると判断したと想定して)が間違っていたときに危険にさらされるのは、自分だけで十分かと思います。ですから私のように実家を離れていたり、一人暮らしをしている人ならばまだ居座る事をOKするかもしれませんが、家族が絡んでいたなら私は居座らせることは絶対できませんね(苦)冷たいようですがこれは私の最低条件です(><)
 自己犠牲というのは結局自分の気持ちの持ちようなのですが、やはり賢い考え方をして、自分に被害がないように、自己犠牲と同時に自己防衛線を張ることが大切だとは思います。


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 100_shikiさん、樹里さん。意見を有り難うございましたです!!そしてこの問題を少しでも考えて下さってた、このブログをご覧のみなさま。本当にありがとうございました。
 このように、答えのない問題というのはありふれているものであり、だからこそ今は、それらを様々な視点から真剣に考えることが大切なことなのではないか、と、私は思うのです。今の社会問題の討論に大切なのも、そういったことなのではないでしょうか。お国のお偉い方々は、見る視点が偏ったまま、解答を急ぎすぎているように思うのは私だけでしょうか。

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