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【社会科学】 夜回り先生 || 水谷 修
夜回り先生
水谷 修 / サンクチュアリ出版
感動度:★★★★★
満足度:★★★☆☆
先生へ・・:★★★★★
総合評価:★★★★☆
水谷先生の生き方に、★五つを。

-----私にとっては、水谷先生の優しさはただの甘やかしでしかないが、
夜の子供達にとって先生の優しさが、救いになるのならば、
一概に「水谷はいかん」と言ってしまうのは、余りにも浅はかだ。
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「おれ、窃盗やってた」
いいんだよ。

「わたし、援助交際やってた」
いいんだよ。

「おれ、いじめやってた」
いいんだよ。

「わたし、シンナーやってた」
いいんだよ。

「おれ、暴走族やってた」
いいんだよ。

「わたし、リストカットやってた」
いいんだよ。

昨日までのことは、みんないいんだよ。

「おれ、死にたい」「わたし、死にたい」
でも、それだけは駄目だよ。

まずは今日から、水谷と一緒に考えよう。


【加藤レンジャーからの一言】

この先生に出会えた人は幸運だ。
先生によって人生を救ってもらった人たちは、本当に幸せ者だ。

私の周りの不幸な人たちの側に、どうか先生、来てくれませんか?

出版社/著者からの内容紹介

"悩んだら電話しなさい。水谷は、どこでも会いにいくよ。"

不登校、ひきこもり、リストカット、薬物乱用… 12年間夜の街を回り、5000人の生徒と向き合った 「夜回り先生」が激動の半生を振り返る。
なぜ夜の街の子どもたちが、水谷先生にだけは「心をひらく」のか、 その答えがこの一冊におさめられている。

内容(「MARC」データベースより)
昨日までのことはみんないいんだよ。まずは今日から、水谷と一緒に考えよう-。不登校、ひきこもり、リストカット、薬物乱用…。12年間夜の街を回り、5000人の生徒と向き合った「夜回り先生」が、激動の半生を振り返る。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
水谷 修
1956年横浜生まれ。上智大学文学部哲学科卒業。横浜市の高校教員。教師生活のほとんどを少年の非行・薬物問題に捧げ、「夜回り」と呼ばれる深夜パトロールを行いながら、若者の更生に尽力。また各種メディアの出演や、日本各地での講演を通して、少年非行の実態を広く社会に訴え続けている。第17回東京弁護士会人権賞受賞




【加藤レンジャーのレビュー】

  ****
 私が一番に心を揺れ動かされた話は、『哀しい成人式』。薬物中毒の上、発作の持病を持った少年が、先生の手を借りて立ち直っていく話だ。途中、信頼できる女性と出会い、これから幸せな人生が待ち受けていたその矢先、その少年は発作をこじらせて死んでしまう。
 少年は来年に成人式を控え、貯金をはたいてスーツを買い、水谷は彼にネクタイをプレゼントした。少年はその時に言った。「先生、俺でも幸せになれるんだね」。その後、少年の恋人から連絡があったのは、翌年の成人式の朝のことだった。「先生、死んでる。彼、死んでる…」…という、痛ましい報告だった。
 彼は、最近発作の薬を飲むことを止めて(副作用があるため)、彼女との将来のために水谷に黙ってアルバイトの掛け持ちをしていたそうだ。彼女には堅く口止めをしていたらしい。その夜、成人式で暴れた新成人たちの模様がテレビで流れてており、その様子を見て水谷は、世の中はなんて不公平なんだろうと思った。

 世の中は、なんて不公平なんだろう。
 これは自己の経験からなのだが…私も、「なんて世の中は不公平なんだろう」と思うときがある。
 高校は中退して(成績は、とても良い子だった)、親もあまり良い親ではなく、そのため頼る人もおらず、自分一人の力で生きてゆこうと決めたがある時、仕事先で恋をして、やっと人を信じられると思ったのに裏切られ、絶望に打ちひしがれた話を無感動に話す友達を前に、私は返す言葉が無くただ黙っていた。恵まれた私が何を言っても、どうにもならないように思えたからだ。その子は最後に、「明日はどうしよう」と言っていた。「今日は、私のところ泊まりなよ…」としか言えなかった。
 次の日、学校で、「マジ面白いんやけど!」「ねーねー掛けようよ!」と、陰で友達を笑い者にする人たちを見て、『なぜこんなに世の中は理不尽なのだ』と、私は拳を強く握った。私に、感情で動いても良いと誰かが言ってくれたなら、その時その子達を殴っていたかもしれない。
 どんな気持ちで彼女は昨夜、私の所に助けを求めにきたのだろう?あんなに笑う子だったのに、何故、今は一つも笑わなく(笑えなく)なってしまったのだろう?一滴の涙すら流さず、彼女は遠く、何処を見つめていたんだろう?そんなことを考えれば考えるほど、今、目の前で高笑いする人たちに、「何だよお前ら!!ふざけんなよ!!」と、叫びたくなった。
 …ここでそんなことを私が言うことも、理不尽だのだけれど。昨夜のことと今朝のことも、全く違った問題であるのだから、私がそこで怒ることは間違っている。間違っているのに、私は怒りを抑えるので精一杯だった。
 「あの子が報われたっていいじゃない。」常々思う。

 :
 
【教育方針】
 水谷先生の「いいんだよ」
 それが全てにおいて良いという訳ではないが、その優しさに救われる子供達は実際、大勢居るわけだし、水谷先生のような人が居てもいいように思う。(全員が全員水谷先生のようであったら大変なことになるが)
 そもそも、私はが思うに、教育者は様々な価値観を持った人が必要なのだと思う。10人の先生が居たとして、10人全員が同じ価値観だったらどうだろう?もしその価値観に沿わなかった子供はどうすればいい?誰にも受け入れてもらえないではないか!!それでは10人のうち10人が違う価値観を持ち合わせていたならば?子供はそのうちの誰かに理解される可能性が出てくるのではないだろうか。
 そういったことが今の教育に必要なことだと思うのだが、それを、現在教師の父親に話すと、「そうできればいいんだけど、そう甘くはないんだ。そういう体制を作るのに、苦労してるんだ」という事らしい。今まで教育現場に根付いているものは、相当なものなのだとか。どうやらそれは、私に理解できることでは無さそうだった。

 また、私に「いいんだよ」と言われると、私にとってそれは救いでなく甘やかしになってしまう。
 冒頭にも書いたように、この「いいんだよ」は、人によって全くとらえ方が違うが、彼のような人が夜の世界には必要なのだろう。「いいんだよ」と言って救われる人が居るだから、それは本当に、必要なのだ。
 ある記事で、夜回り先生を批判した記事を見たが、(というか私自身彼の教育方針に疑問を持っていたのだが)それは余りにも浅はかだったのかも知れない。昔の私を含め、そう言った人は、偏った視点でしか物事を見ていないのだろうと思う。

【犯罪について】
 今の大人は口をそろえて言う。「ゲームが悪い、友達が悪い、漫画が悪い、小説が悪い」。『爆笑問題のススメ』(加藤の好きな数少ないTV番組)の太田さん曰く、「ふざけんな」。加藤からも「ふざけんな」。(は、迫力無ぃ…)太田さんの台詞を借りると、「大人は逃げてるんですよ。ゲームとかに責任転嫁してるんですよ。自分たち大人が悪いのを認めようとしないんですよね」。そこにもう一つ加藤の台詞を付け加えておく。「そーだそーだ」。(ごめんなさい。台無し)
 いや、ゲームも友達も先生も漫画も小説も、これらのことから影響を受けていないと言ったら嘘になる。もちろん、影響は受けている。でもそれは、要素として、なのだ。(下の図参照)

     要素①漫画 要素③友達  要素⑤TV      
            ↓   ↓        ↓                
   起源------------------------------------->犯罪行為
                    ↑      ↑                 
              要素②ゲーム  要素④その他      

図/加藤的、「子供の犯罪に至るまで」(例外あり)


 何の経験も無いのに、漫画や小説を見ただけで人を殺す子はまず居ない。それもそうだろう、赤ちゃんや小さな子供にオカルト漫画を見せて、「人を殺してやる!」と思うだろうか?(意味も分からず…という事はあるかもしれないが、その場合命の大切さを初めに教えておくべきだ)けれども私たちがオカルト漫画を見て、多少でも犯罪を意識してしまうのは、それに基づく何らかの経験や知識があるからではないだろうか?

 …長々と語ってしまったが、(こんなに長くなるつもりはなかった)この夏は、犯罪に関する書籍をいつもより多く読んでいるように思う。最近はどうしてもそういったことに目がいってしまう様だ。
 次は是非、笑い転げるような楽しいレビューを書きたいな(希望)

 この本は文字も大きいし、写真も多く、外観にもかなり凝っているので、本嫌いの子も苦無く読めると思う。今日は家に帰って、リビングのテールブルの上にこの本を置いておいたらどうだろう?「何?この本」と興味を持った子供が目を通してくれるかもしれない。
by katoren | 2005-08-09 15:35 |  【読書で学ぶ】小説・哲学
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